今年も大空に凧が舞い揚がった。
さまざまな想いが込められた連凧の群れが、青い空に吸い込まれるように、高く高く天を目指して昇って行った。
見える世界と目ない世界を繋ぐ道しるべのように。
連凧「笑み舞う」が、宮城県仙台市若林区の深沼海岸で行われた。
思い思いの言葉や絵をかいてもらいそれを連凧にし、東日本大震災のあった3月に大空へ揚げるイベントで、今年で6年目となる。
笑み舞うスマイルプロジェクトとして、凧揚げを楽しみながら、震災の記憶を風化させることなく心に留め、そして、被災地の海岸線の再生と復興を定点観測のように見つめ続け、最後に浜辺の清掃も行いながら、身近にある自然環境のあり方にも関心を持ってもらえたらという思いも込めた活動でもある。
今年は暖かく、穏やか一日だったこともあり、多くの人々が集っていた。
8年前に起きた1000年に一度という巨大地震を自分が住む場所で経験した。
一生、忘れられない・・・。
いつまでも鮮度を失うことのない記憶が私たちの中に刻み込まれた日を。
あの日から、自然の力というものが目の前に圧倒的な迫力で姿を現わし、地層の動きから、歴史の系譜のような自然災害の痕跡とダイレクトにつながり、地球の上に生きていることを再認識させられたように思う。
そして、誰しもがこの出来事によって考え方や生き方に影響があったのではないかと思う。
その中で「貞観」という言葉を聞いた。
それは平安時代の9世紀にあった元号だった。
貞観地震以来の大地震が1000年の時を経て、平成の世に起こった。
震災後、浜辺の地層の堆積物の中に克明にその記憶が積み重なっていたという。
元号も流れた時代が堆積した区分としてある地層のようだ。
1300年以上連綿と続く日本の元号とその歴史。
言葉には、想いが宿るとされ、それを昔の人は言霊と名付けた。
新しい時代と共に、次世代への想いや願い、そして、祈りを元号の中に込めてきた。様々な時代を経て、祖先たちがつないできた襷を受け継ぎ、その末裔として私たちは存在している。
元号の中でも昭和が一番長く続いた時代だったという。
近代以前は、伝染病や大きな自然災害、そして、ハレー彗星の出現による改元など、頻繁に改元が行われていたが、明治時代に天皇主権下の近代化を目指して”天皇一代に一元号制”に変わった。その影響で昭和という時代が長く続いたと言える。
しかし、昭和という元号も存続が危うかった時期がある。
第二次世界大戦後、敗戦国となった日本は、元号の法的根拠を失ったという。旧・皇室典範や登極令といった元号に関する法令は廃止され、新たな皇室典範では元号に触れなかったためだ。元号は天皇制と深く関わっており、連合軍総司令部(GHQ)がその明記を認めなかったというエピソードがある。
それでもなんとか昭和という元号は、存続し、生き延びてきた。
昭和、平成、と次に待ち受けている時代。
自分が3つ目の時代を生きることになる。
次の時代に託す想いを込めて、どんな言葉が使われることになるのだろう。
様々なところで予測され話題になっている。
たった一つ願うことがあるとするならば、次の時代にも平和が続いてゆくよう、祈りの言霊を秘めた言葉にしてほしいと深く願わずにはいられない。
*参考文献
読売新聞「基礎からわかる元号」(2019年2月26日号)
髙橋 典子
画家/ライター
岩手生まれ、宮城県亘理町在住。
2004年から個展活動開始。
個展、グループ展多数。
Horizon(水平線・地平線)をテーマに、日常の中、自己が感じたリアリティーを色彩に置き換えた半具象的な平面作品をミクストメディアで製作。
宮城県をベースとし、関東・関西でも展示。
2016年親かめ子かめにて個展「自然形象~Human as a part of nature」開催。
2016年、2018年、海外遠征グループ・宙色Japan「日仏交流展SUMI」(Espace Japon/フランス・パリ)に参加。
文筆作業として、河北新報・夕刊「まちかどエッセイ」にて連載。
(2016年10月から2017年2月)
また、2014年1月から、ブログ「My Horizon」を開始。
絵の製作のことや日々、感じているモノゴトを綴っている。
”描くことと書くこと”に喜びを感じながら創作活動を行っている。