眼の前に広がるのは、こんなにも穏やかで綺麗な海。
小さな入り江には、家族連れが水遊びをしている。
しかし、ここのエリアには、人が住めなくなった場所がある。
震災後、初めての宮城県石巻市。
そして、初めての雄勝町。
東京駅の駅舎の屋根のスレートの石は、この地で採掘される雄勝石が使用されている。
それを知ったのも震災後だった。
大川小学校の付近を通り、曲がりくねった山道の途中、雄勝硯館の看板を見かけたものの、建物自体は今はもうないという。
小高い丘の上にある小さな工房・エンドーすずり館を訪ねた。
50年前に採掘をやめてしまった雄勝石が採れる山から、自ら出向き、毎日、硯づくりに励んでいる遠藤 弘行さん。
その山の中腹で採れるネズミという白っぽい石、そして、山頂付近で採れる、更にきめの細かく硬い波板石を使い硯を手彫りで製作している。
昭和の頃は、そこの山で採掘された石がビリヤードの台になっていたとか。
最近では、柔らかい雄勝石を使って、機械彫りで大量生産する児童用の硯を作っている業者が多い中で、遠藤さんは一人手彫りにこだわりながら、コツコツと日々、雄勝石と向き合っている。
「雄勝硯は、室町時代より生産されていると言われていますが、世に広く知られたのは今から400年前に藩主・伊達政宗公が幕府に献上して以来と考えています。
原石は黒色硬質粘板岩系の玄昌石と呼ばれ、全国の天然硯の9割ほどの生産高を誇るといわれ、更には原石のまま各地に出荷しており、まさに雄勝は「硯のふるさと」でございます。弊館では仙台の父・盛行が磨墨(墨の磨れ具合)と石の美しさ(玄昌石のもつ色合いや石紋の美しさ)にこだわってきた流れを引き継ぎ、個性ある上質の硯づくりを目指しております。」(遠藤 弘行さん・著「雄勝石」リーフレットより)
小高い丘の上に建つエンドーさんの工房からは、碧い海が見え、吹く風も気持ちがいい。
しかし、それを見られるのもあとどれくらいか…と遠藤さんがつぶやいていた。
津波の被害を防ぐために県が建てている防潮堤が4mから8mとなり、それが完成するとこの丘から、まったく海が見えなくなってしまうという…。
海が見えなくなることを望んではいないのだが、その声がお役所には届いていないとおっしゃっていた。
日常の風景が人の情緒性を支えてこともある。
海の色を見て季節の気配や天候の変化というものを感じ取ることで、日々、自然と対話しながら生きているのではないだろうか…という思いがよぎり、なんともやりきれない思いがした。
そして、波板地域交流センター『ナミイタ・ラボ』へ。
雄勝のエリアは震災前から、「限界集落」とも言われてきた。
住むことも制限され、お役所の援助がなければ自分たちでなんとかすっぺ!と思い立ち、震災後ボランティアでやって来た他県の人々の視点も生かしながら、そして、協力し合いながら、雄勝石の魅力を伝えるワークショップや震災体験を伝承し、そして雄勝の自然の素晴らしさを伝えようとしている。
そこにはゆったりとした良い空気が流れていた。
近くの採掘場のある森へ。
雨が降り、泥が固まり、長い年月をかけて堆積した山の時間によって育まれるように、石たちが土の中から生まれ出てきているようにも見え、細長い石たちがミルフィーユのようにむき出しになった道。見たことのない光景に足元にある石の形ばかりを目で追って、石に触れながら夢中で歩いた。
宮城という土地は、昔から自然災害と共に暮らしてきた。
自然の豊かさも恐ろしさも同じくらいに経験してきた歴史を持つ。
そんな経験に幾度もあいながらも、人々はささやかな暮らしの中で、緑豊かなこの土地で、自分たちに出来る事をコツコツ積み重ねながら、雄勝石の伝統を守り、継承してゆこうとしている。
「Ogatu〜風も水も空も地も〜」(典子・作 / 雄勝石に彩色)
髙橋 典子
画家/ライター
1970年、岩手生まれ、宮城県亘理町在住。
2004年から個展活動開始。
個展、グループ展多数。
Horizon(水平線・地平線)をテーマに、日常の中、自己が感じたリアリティーを色彩に置き換えた半具象的な平面作品をミクストメディアで製作。
宮城県をベースとし、関東・関西でも展示。
2016年親かめ子かめにて個展「自然形象~Human as a part of nature」開催。
2016年、2018年、海外遠征グループ・宙色Japan「日仏交流展SUMI」(Espace Japon/フランス・パリ)に参加。
文筆作業として、河北新報・夕刊「まちかどエッセイ」にて連載。
(2016年10月から2017年2月)
また、2014年1月から、ブログ「My Horizon」を開始。
絵の製作のことや日々、感じているモノゴトを綴っている。
”描くことと書くこと”に喜びを感じながら創作活動を行っている。